2004年、若干15歳で阪神にドラフト8位で指名され、将来を有望視された辻本賢人投手
その当時は15歳ながら140キロを超える直球を投げ、将来は日本をしょって立つ存在になると誰もが信じていたが、最近では全く名前を聞かなくなってしまった。
今回は辻本賢人投手のその後を追った。
2009年 阪神に自由契約に
2009年はキャンプ前に第5腰椎を疲労骨折したこともあって二軍でも登板機会がなく、10月1日に球団から戦力外通告を受け、10月30日自由契約公示された。
合同トライアウトではスカウト陣から「球が遅すぎる」「フォームがバラバラ」など厳しい指摘を受けた。
2010年 アメリカ独立リーグに渡る
その後プレーする場を求めて2010年4月、アメリカの独立リーグ・ゴールデンベースボールリーグのトライアウトに参加した。
そこで阪神時代を超える最速146kmを記録。同リーグのマウイ・イカイカからドラフト1位指名を受け入団した。
同年のシーズンでは、腕の位置をサイドスロー気味に下げたフォームに変えたことで、球速が151kmまでアップし、主に中継ぎ投手としてプレーした。
シーズン後半では、勝ち試合で起用されるようになった。
そして、2011年ニューヨーク・メッツに移籍
2011年2月7日、ニューヨーク・メッツからマイナー契約のオファーがあったと報道され、3月3日にメッツとマイナー契約を結んだ。
しかし、解雇に
しかしその後の2013年5月、ニューヨーク・メッツを解雇された。
現在は?
現在は、父親が取締役を務めている会社で働いているといった説がある。
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